なんだか、たいそうなタイトルにしてしまいましたけど、今日、感じたこと。
さすがにまだ、手術をした左脇、抜糸がまだだし、手術からそんなに日も経っていないので、違和感があるけど、通常の生活をする分には、なんとかできる程度。
車の運転もできそうな気もするけど、チョッピリ怖いので、配偶者にお願いして、マイカルまでお買い物。
菓子折を買って、そのまま会社へご挨拶。皆さん、研究室やら現場やらに出てしまっていて、事務棟は人が少なかったですけど、「こんにちわ~」とご挨拶すると...
「え Tさん、大丈夫なん」 予想通りの反応、ありがとうございます、Mさん。
「まー、かろうじて、なんとか...生きている姿、見せておかないと、皆さんに忘れられそうな気がして...」
↑とだけ、返答しておきました。
医師から2週間ほど安静を要する、との診断書が出ているので、それを出しておきました。
上司も上の階から降りてきて、「お前、再発だしなー、無理するなよー」 と渋い顔。
正直、かなり照れくさかったですが、顔を出せて良かったです。
で、本題。
会社を出てから、最初に入院したK市の医師会病院に行きました。
入院していた病棟に行き、エレベーターを降りると、お世話になった看護婦さん。
「あ 早かったね、大丈夫なの」 と声をかけ、ナースステーションまで連れてってくれました。
「HM先生、今って何していらっしゃいますかね??」 木曜日の外来担当なので、ひょっとしたら病棟にいるかも知れないと思って聞いた一言。
「ちょっと待ってね、連絡取ってみるから」 と内線かけてくれる看護婦さん。
「ご無理でしたら、お会いできなくても、構いませんのでー。」
「じゃ、Tさん、外来の受付前で待ってて。先生も降りてきてくれるって言うから。」 の返答、ちょっとビックリ。
こちらでも菓子折渡そうとするも、「いいのTさん、既に1回もらってるんだから。」 うわっ、一番恥ずかしくなる一言。
エレベーターで下に降りて、受付に着いたら、直後にHM先生が本当に降りてきてくれました。
「さっきね、O市民病院からお手紙受け取ってね、手術無事に終わったみたいね。」
すごーい、昨日退院で、確かに市民病院の看護婦さん、
「医師会病院には、こちらからお手紙出しておきます。」
とは言っていたけど、昨日の今日で、ちゃーんと着いてるなんて。数日かかるものだと思い込んでた。
「結局、内視鏡では対応できず、開胸手術となりました。」
「結構、大変な手術な手術だったでしょ。あとね、君の場合はね、右肺も心配なんだけどネ。」 と苦笑いの先生。
「そーなんですよねー、もう先生のお世話にならないことが一番なんでしょーけどねー。」
「ま、何かあったらいつでもいらっしゃい。抜糸は市民病院でやってくれるの?」 と続ける先生。
何気ない会話なんですよね、看護婦さんとも、HM先生とも。
ただね、この会話で患者である私が得るものがある。
それは安心感
もう今後、何も起きないことを祈っている、でも現実問題、16年ぶりに左肺自然気胸が再発した、おまけに右肺にブラがあることは間違いない。今後、気胸にならない保証はない。
そんなときに、まぁ、何かあったら、この病院に駆け込めば、なんとかなるんじゃないか、そんな安心感を与えてくれる。
決して、地域で評判の病院と言うワケでもないし、ご高名な先生と言うワケでもない。でもね、少なからず、患者にとっては、ありがたい存在なワケですよ。
病は気から って言うじゃないですか、コレ、ホントですよね。落ち込んでたら、治るモノも治らないし、身体はナーバスに反応して悪い方向に言ってしまう。逆に、気持ちがスッキリしているときは、身体もなんだか動けそうな、そんな感じになる。
この安心感を与えるってのが医療なんだって感じた。医療技術のレベルどうこう、スキルどうこう、そんな話は私は専門家でもないし、ましてや医師でもないのでワカラナイ。でも、少なくとも、今回の入院生活は病院に恵まれたと今、言える。だってね、こうやって転院して退院してご挨拶にきて、わざわざ時間裂いて話を聞いてくれるんですよ、大きな病院では、ここまでできないんじゃないかと。
医療って、そんなものなんじゃないかなー。
コメント